- 1881年12月28日(明治14年)
- 石川県金沢市長町に生まれる。名一清
- 1906年3月(明治39年)
- 東京帝国大学工科大学機械工学科を首席で卒業
- 1906年1月(明治39年)
- 鈴木鉄工所発明部に技師長として入社、設計に従事する
- 1910年11月(明治43年)
- 国友機械製作所入社
- 1912年11月(大正1年)
- ゐのくち式機械設計事務所創設し、所長(先生)に就任。ポンプの設計に従事、主幹は井口在屋
- 1913年1月(大正2年)
- 東京帝国大学へ研究用渦巻きポンプ寄付
- 1914年1月(大正3年)
- 日暮里に念願の自家工場を作る。水力機械実験所も設置する
- 1915年1月(大正4年)
- 蔵帳「雅楽帖」スタート
- 1920年5月20日(大正9年)
- 株式会社荏原製作所を創立、専務取締役に就任
- 1921年1月(大正10年)
- 旧神田上水に自費で予備ポンプ8台据付
- 1923年1月(大正12年)
- 関東大震災で破壊された東京市水道の復旧に貢献する
- 1926年11月4・5日(大正15年)
- 木挽町山口にて薄茶会を催す
- 1928年11月27日(昭和3年)
- 白里庵にて真台子相伝の会を催す
- 1929年12月25日(昭和4年)
- 白里庵で催した茶会の様子を高橋箒庵が『昭和茶道記』に記す
- 1934年11月12・13日(昭和9年)
- 光悦会席持ち
- 1934年6月(昭和9年)
- 荏原製作所社長就任
- 1935年2月~4月(昭和10年)
- 会社でストライキ発生。ストのさ中、益田鈍翁から茶に誘われる
- 1936年4月18日(昭和11年)
- 水道橋能楽堂で「景清」を舞う
- 1937年4月21日(昭和12年)
- 大師会席持ち
- 1937年11月29日(昭和12年)
- 私邸とするために一括購入した旧島津重豪別荘地に急造の茶室を設け、鈍翁を招き「毘沙門堂」でもてなす
- 1938年1月(昭和13年)
- 社団法人宝生会専務理事に就任
- 1943年4月29日(昭和18年)
- 般若苑開苑披露の茶会を催す
- 1950年3月(昭和25年)
- 財団法人加越能育英社社長となり、郷土の教育に尽くす
- 1955年1月(昭和30年)
- 宝生流の免許皆伝を受ける
- 1959年6月(昭和34年)
- 財団法人畠山文化財団を設立し理事長に就任
- 1961年9月(昭和36年)
- 社団法人宝生会名誉会長
- 1963年1月(昭和38年)
- 七尾城史資料館を建設して七尾市に寄贈する
- 1964年2月17日(昭和39年)
- 文部省より「財団法人畠山記念館」の許可を受ける
- 1964年10月28日(昭和39年)
- 畠山記念館開館
- 1968年4月(昭和43年)
- 畠山記念館開館5周年記念展開催
- 1971年11月17日(昭和46年)
- 逝去
- 2014年10月(平成26年)
- 畠山記念館開館50周年記念展開催
- 2019年3月18日(平成31年)
- 施設改築工事のため、長期休館に入る
- 2024年3月(令和6年)
- 新館竣工
- 2024年10月5日(令和6年)
- 荏原 畠山美術館開館
開館当初の正門写真
畠山即翁とゐのくち式ポンプ
お茶を楽しむ畠山即翁